先祖を探して

琉球王国時代の1400年頃に、沖永良部島の世之主(島主)であったご先祖様を探す活動の記録。

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

Vol.218 火神殿内で分かったこと

”今帰仁の先生”と私が勝手にお呼びしている沖縄の歴史研究家の先生がいらっしゃいます。先生のご研究の中で、当家の先祖に関わりがありそうなことでどうしてもお聞きしたいことがあり、お問い合わせしたとこからのお付き合いさせてもらっております。とても…

Vol.217 銀の簪

ご先祖様の遺品の中に、銀色の簪(かんざし:ジーファー)が残されています。簪は琉球文化の象徴の1つです。琉球に服属していた時代には、奄美の島々の大屋子や与人といった役職者は、金の簪、朝衣、大広帯を用いており、それ以下の役人も階級によって服装が…

Vol.216 調査をしたい墓石があるのです

島にある一族のお墓は、大きく2ケ所に分かれているようです。1つは、お爺様の系統になる屋号:上花城系のお墓で、こちらは何度かご紹介しているチュラドゥールと呼ばれる琉球式のお墓です。ここには他にも宗家の墓石がいくつかありますが、詳細は把握できて…

Vol.215 火神殿内があったようである

久しぶりにお爺様の書いた記録を開いてみると、気になる情報が目に入ってきました。もう何度も何度も見ている資料です。しかし、たまに開くと新しい情報が飛び込んでくるのです。それはお爺様が天国で追記しているわけではありません。私自身の琉球史に関す…

Vol.214 世之主城の築城伝説(2)5つのなぞ

世之主城の築城について永良部島に残る古い伝承では、北山王の二男であった真松千代が島の島主(世之主)としてやってきた後に、四天王の1人あった後蘭孫八に命じて築城しているので、1350年~1400年頃の間だと推定されます。この伝承をベースとして他の資…

Vol.213 世之主城の築城伝説(1)

和泊町内城にある世之主城跡。現在は世之主神社が建っていますが、1300年代後半に、琉球の北山王の二男として生まれた真松千代が、父である北山王の命によって沖永良部島の島主(世之主)として渡海し、四天王の1人であった築城の名手と言われて後蘭孫八に…

Vol.212 ご先祖様の76年前の居住地にタイムスリップ

ご先祖様が生活していた沖永良部島。南国の温暖な気候と美しい海や自然。昔のままの美しい自然と歴史のある場所をそのまま残しておいてほしいと願う場所ですが、叔父や叔母の話を聞くと、昭和の初期から比べると随分と開発が進み、山は客土のために削り取ら…

Vol.211 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(5)

沖永良部島に関係していたと思われる永良部阿応理屋恵。当家のご先祖様の母親の家系に繋がるかもしれないと勢い喜んだ永良部阿応理屋恵。しかし歴史の神様はそう簡単には微笑んではくれませんでした。何が問題かといいますと、まず子供の数が圧倒的に違いま…

Vol.210 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(4)

沖永良部島に琉球から来島した役職者を、琉球からの辞令書や家譜で確認できた方々としてVol.65で書きましたが、その後の調査の内容を追加して整理してみました。*******************************①1466年 泊宗重 *呉姓琉球よ…

Vol.209 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(3)

第二尚氏三代国王であった尚真王の子供たちが奄美の島々に派遣されたのではないかという話は、ある方からの情報でした。この方も奄美の島々の方で、ご先祖様が琉球と関係する家の方です。代々その家の伝承があられるようですが、当家と同じく不明な点が多く…

Vol.208 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(2)

第二尚氏3代尚真王の時代に、奄美の島々へ一族の者を派遣した説。その人たちは誰であったのか?尚真王の子供たちを見てみると、少し意外なことが見えます。以下はWikipediaからの情報です。長男:尚維衡・浦添王子朝満(童名・思徳金、号・月浦。1494年(弘…

Vol.207 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(1)

琉球が北山・中山・南山と3つの勢力に分かれていた時代の14世紀後半頃については、当家の平安統が書いた「世之主かなし由緒書」によれば、この頃の北山の統治は徳之島、奄美大島、喜界島まで及んでいたということですが、このあたりは定かではありません。し…